裸押合い大祭

三月三日の夜、2メートルを超える雪の中で行われる裸押合祭りは、日本の奇祭と言われ、「北越雪譜」の中にもその当時の祭典の模様が詳しく記されています。今から約1,200年前、坂上田村磨がこの地に御堂を建て、守護仏の毘沙門天王を祀って、部下の将士や村長(むらおさ)や村人と共に国家安穏と戦捷を祈願し、あわせて五穀豊穣・家内安全・身体健康を祈り、祝宴の中で歌い、踊って士気を鼓舞したことに起因するものと言われています。その後、毘沙門天王の霊験あらたかさと、幕府の庇護にあづかったことにより、歳々参拝者が多くなりました。

かっては、年1回初詣の正月三日に御堂の唐戸を開き、ご本尊様の御廉を上げ御開帳して行われる行事に、毘沙門天を信仰する人々が各地から集まり、賑わいと混雑を極めました。その多くの信者が他の人より早く参拝しようと、もみ合い押合うその熱さと、年頭にその年の除災招福を願う心から、水行をして参前する。これらのことが混じり合って次第に裸になる者が多くなり、全員裸で御本尊に額づくようになり、今の押合い祭りに受け継がれて来ています。

古くは毎年正月三日に行われてきた行事は、明治五年(1872年)十一月九日、新政府が太陽暦を採用し、明治五年十二月三日を、明治六年一月一日と改正する旨を布告すると、毎年正月三日に行われた例祭は三月三日に改められました。

村の男性は総出で祭典の行事に奉仕し、特に「若者連中」と呼ばれた若者は、祭典について、準備・警戒・警護その他行事の進行等に参加し、その活動の目覚ましさは衆目をみはらせ、信者各位に感謝され、村人の賞賛の的になっていました。

昭和二十七年、祭典の中心になっていた「浦佐青年団」は人数が少なくなり、押合い大祭の運営に支障を来すおそれがあったため、新たに「浦佐多聞青年団」として再編、上限年齢も数え年30才に引き上げ、最高年齢者が最高幹部として、祭典の中心となり、毎年古式に則り、厳粛に盛大に運営しています。

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裸押合い大祭実行委員会
TEL:025-777-2001