昆沙門堂

昆沙門堂は大同二年(807年)平城帝の御代、坂上田村麿将軍が東夷征討のおり、国家鎮護のため建立し、インドの仏工毘首羯摩作という「本尊毘沙門天王」を奉祀されたのが草創と言われております。 承久三年(1221年)鎌倉幕府は、地頭平繁基をして堂領を献じ、道乗坊弁覚を毘沙門堂別当に任じ、付近一帯を「永代伐木殺生禁断の地」と定めてから、毘沙門堂の御威徳は顕著となりました。

古文書によれば、永徳二年(1382年)十一月十三日、天王堂(毘沙門堂〉御造栄(営〉のため田二百苅を藤原清信他7名の武将が寄進しております。このように室町前期には各地の武将・豪族が競って金幣田地を寄進した事により機運が盛り上がり、桁行五間・梁間五間・屋根入母屋造・茅葺の壮大な伽藍が建立されたものと思われます。

慶長八年(1603年)、坂戸城主堀丹後守直寄候が毘沙門領として三十石の寄進があり、従前の堂領と合わせ五十石を領するに至った。下って慶安年間三代将軍徳川家光公は従前諸将の寄せられた堂領はことごとくこれを附し、緒役免除の令もあり、御朱印五拾石・拾万石の格式で遇され、以降歴代将軍の尊信篤く、八代将軍吉宗公の享保年間より堂宇の修萱は魚沼全郡に公課できる特典を保有し明治維新に至るまで続いておりました。

毘沙門堂が大正六年、国の特別保護建造物に指定されましたが、昭和六年四月、室町前期の建築と言われた国家的至宝も炎上烏有に帰しました。直ちに再建に着手、多くの信者の浄財と労力及び五ケ年の歳月のもと、現在の御堂が完成しました。設計者は昭和十八年に文化勲章を受賞きれました東大名誉教授伊藤忠太工学博士であります。屋根の設計は銅板葺でありましたが、日中戦争の前でもあり軍需物資である鋼の入手ができず、木羽板葺としましたが戦後雨漏りがはげしく、昭和29年瓦葺としましたが、瓦葺も40年余を過ぎるとまた故障もあり、平成九年、信者・信徒等多くの方々のご協力で当初の設計通り銅板葺の屋根となりました。毘沙門堂本堂と宝蔵殿の間の廊下には伊藤先生の設計図を展示してあります。

1.宝蔵殿
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